「当事者でないなら、傍観者に徹した方がいい」
日々、色んなニュースに接する。
中には多くの人々の関心を引くような、センセーショナルなニュースもある。
そんなニュースに触れて、感情を揺さぶられ、あるいは、それをきっかけに自分の考えを整理するのは、決して愚かではない。
が、そのニュースをきっかけに何か行動を起こすとしたら、少し立ち止まって考えてみたほうがいいのではないか。
- あなたがそのように行動する理由は何だろうか?
- あなたがそのように判断した根拠となるニュースに、客観的に事実といえる情報は何パーセント含まれているだろうか?
情報はそれを伝える者の利害や意図によって歪められていたり、部分的であったり、一面的であったりすることがある。
私たちが知り得る情報もまた、ごくごく限られたものであることがほとんどである。
その状況で何か行動を起こすことや、「こう」と決めつけることは危うい。
- そもそも、あなたはその事象の当事者だろうか? あるいは、当事者になることを望んでいるのだろうか?
多くの場合、ノーだと思う。
私たちはたぶん当事者ではなくて、私たちがその事象に対してやるべきといえることはない、ということがほとんどではないか。
そうであるなら、むしろ傍観者に徹した方がいい。
中途半端に関わっても、あまりいいことはないだろう。
私たち自身が当事者である場合は、もちろんこの限りではない。
あるいは、もっと当事者意識を高めるべきケースもあるかもしれないが、それはまた別の話である。